日本は既に少子高齢化そして人口減少の道を辿っていることは、
皆直視はしないけど認識はしていると思います。
日本はおじいさんになるまで企業に雇ってもらって、頑張り抜いたらご褒美に死ぬまでたくさん年金もらえる・・・
???「こんな時代はもうおしまいだ、これからは個人個人が世界をフィールドにしても戦えるグローバル人材にならなければならないのだ」
こういった「理想」に弱いのが希望に溢れた新卒就活生です。
実際僕もそうでした。
とまあ、ここまでこんな論調で来てますが、
この考え方について、実は僕は今現在でも少なくとも日本に必要な一つの人材像として正しいと思います。
そこで就活生としては、グローバルな大企業に憧れを持つわけです。
(おー、海外の競合と渡り合うんかー。海外の拠点もあるんやなー。)
(英語も使うんやろなー。あんま喋れんけど、でもやっぱそうやって仕事やりながらグローバル人材に成長できたらベストよな!)
こんな安直な言葉が脳裏をよぎってるかどうかはわかりませんけど、
普段日本の大学の研究室で缶詰になっている理系大学院生は外の世界に羽ばたいていく夢を持ちがちです。
でも、大抵そういう羽ばたき方はしないよって話と、でもグローバル人材になれないというわけでもないよって話です。
(今回の記事ではグローバル企業=海外にも拠点や取引先を持つ大企業とさせてもらいます。もちろん、海外を飛び回るグローバルなベンチャー企業があるのもわかりますが、大学生が合同企業説明会とかで大企業の説明を聞いた時に認識するグローバル企業と思っていただければ)
そもそもグローバル人材ってなんだ
なんだ。
・・・でも明確な定義(海外勤務何年!とか)は知らないし、きっとないですよね。
皆が漠然と持っているイメージの通りでいいんじゃ無いでしょうかね。
僕の言葉で表現すると
「環境問わずしっかり成果をアウトプットできる人材。」
そのためのスキルがあり、
語学力があり、
コミュニケーション能力があり、
健康な体という資本がある。
そんな人材。
例えばプログラミングがかけて、世界共通言語の英語で様々なバックグラウンドを持つ人たちとコミュニケーションを取れる元気一杯の青年。
こんな人材はグローバル人材だと思うんですけど、皆さんのイメージはどうでしょう。
純和製就活生が描くグローバル企業での成長ビジョンとありがちなギャップ
海外で活躍できる人材に誰しもなりたくなる
今までずーっと日本の義務教育を完了し、日本の大学(大学院)を卒業した純和製の就活生も、
「やっぱ世界に進出しているグローバル企業で、日本にしがみ付くだけではやっていけないこれからの時代を乗り切れるグローバル人材になりたい」
こういう発想に当然のロジックでたどり着くわけです。
英語はほっとんどできないけど。
そこそこの大学を出る人ならなんだってできるような心境になっていることも多く、それがまた背中を強く後押しします。
最初のツッコミどころとして、現代の日本の大企業は大概海外との繋がりを持っているので
わざわざグローバル企業という肩書きをつけるようなものではないんですけど、
それでも晴れてそういう世界を股にかける企業(ほぼ大企業と同義ですけどね)に入社できたとします。
”グローバル企業”にはしっかり入社希望者が集まる
現代に限ったことではないですが、そういう企業にはたくさんの応募が集まります。
100人募集に対してエントリーシートの段階で1万とかざらに来るらしいですよ。
そしたら、海外進出している企業なので、もちろん海外のビジネス要員も必要です。取りますよね。
そこの枠、わざわざ英語に関してポテンシャル採用しますかね?
つまり、英語と論理力思考力が必要な役職に対して、英語はまだできないけど、頭よさそうだから取ろう。英語はおいおい身につけてくれれば、ね。
ってなりますかね?
たぶんなっていないと思います。
同期を見ていると、帰国子女でTOEIC満点とか900オーバーとかがごろごろいます。
そして、いかにも海外に出て行きそうなとこに配属です。