社会的に選択肢を狭めないように手に入れた高学歴が、将来は心理的に選択肢を狭めるパラドックス

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世の中高学歴で括られる人というのは少なくはありません。

 

この「高学歴」という言葉の定義は実に曖昧で、

東大京大医学部のみを指すこともあれば

4年生大学を出ただけでも高学歴という感じとり方をする人だっています。

 

ただ、東大京大医学部に絞ったって年間1万人くらいは生まれてるわけです。

残りの旧帝大や早慶一橋あたりだって高学歴と考える人がほとんどでしょうから、

「高学歴」と呼ばれる人は年間3万人とかのオーダーで生じていると思われます。かなり適当な推測ですけど。

 

こうした人達のほとんどって、それなりに努力して勉学に励み高学歴になっています。

本人のみならずご両親の努力の寄与もあるでしょう。

 

なんで努力の代償を払ってまで手に入れようとしたのか。

 

自分も含め、「将来なるべく多くの選択肢を持てるようにするため」という観点が強い

医学部は少し話が違うかもしれません。さすがにほとんど皆お医者さんになろうとしているでしょう。

 

けど、例えば工学部。

「有機薄膜太陽電池の研究をしたくてこの学科に来ました!」

なんて具体的なビジョンを研究室配属前から持っている人とか聞いたことありません。

 

それどころか、

 

「将来?まあ、先輩を見ていると化学系企業に研究者として就職する可能性が高いですね」

こんくらい自分自身のビジョンは持てていない。ちなみにこのセリフは僕もよく使って会話をかわしてた。

 

 

目標もないのに、じゃあなんのために一生懸命勉強したのか。

 

理由は色々あるはず。けど「将来どこにでもいけるように」これが本音では。

ほんとに理由は人それぞれだし、一人一人の中でも一個の理由だけではないと思う。

例えば僕は、

高校が妥協を許さない校風だったので、なんとなく簡単なとこを受けるのは妥協な気がして難しいとこ受けようっていう気持ちもありました。

浪人してでも第一志望をごまかすなっていう教え。実際1年浪人もしています。

偏差値高いとこ行くほど良いということが、それは何か違うようで違わなくなる価値観が自分の中にありました。

あとは単純にかっこいいとも思ってましたね。

 

けど、

確かにこれもあった。

 

「ここ入ればまあ将来大抵のところに進路は作れるだろう」

 

つまり、入学の時点で将来の選択肢はほとんど狭まらないという魅力

 

おぼろげながら、高校時代の自分にも入る大学によってすごい企業とかには入れなくなりそうという概念はあったということですかね。

 

実際企業はおおっぴらにしませんが、人気企業の選考には学歴フィルターがかまされるというのが普通の考え方ですし、

それは不公平というか企業が効率よく採用活動をするための常套手段です。

 

また、環境が人を変えることを思えば、レベル高い大学に入った方が自分のレベルが上がる傾向にあるという側面もあると思います。

超強豪校では3軍であってもその辺の無名校の1軍より強いみたいな。

 

 

この「選択肢が乏しい状況に陥らないから」という理由は、

考えが浅そうな印象を与えるかもしれませんが、現代社会はこれだけ不透明な雲行きをしているわけですから、

正直立派な動機になり得るとは思っています。

 

ですが、この状態は人によっては選択肢を全て失うリスクを孕んだ状況だということが最近わかりました。

 

「せっかく」の気持ちが全ての選択肢を消して行く

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