社会的に選択肢を狭めないように手に入れた高学歴が、将来は心理的に選択肢を狭めるパラドックス

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せっかくこの大学に入ったのに・・・

せっかく大学院まで進んだのに・・・

せっかくこんな大企業に採用されたのに・・・

 

「・・・」の中には何が入るでしょう。

そこは確かにまだまだ無限の選択肢があります。

無限の選択肢を残すべく高学歴になってるわけですから。

 

化学系の院をでてたって営業とかになれるし、

大企業に入ったって、退職して起業もできるし、

なんならテニスコーチ始めたっていいし、プロゲーマー目指すのも自由。

 

でもこれらは全部、

「せっかく(現在の立ち位置にいるのに)」の気持ちが先行します。

「いや、そこは強い気持ちを持てよ?」言うのは簡単だけども。

ゆーて気持ちの問題だろって声があがりそうですが、

まず、本当にやりたいことってそんな明瞭な姿では見つからない問題と、

日本では粘り強く継続することが美徳であるという意識が根深いことと

有名企業で安定した収入を捨てるっていうのがなかなか難しい問題がある。

 

最後の一つについては東芝の件もあるし、本当に安定な企業なんてこの御時世あるか?っていうのは客観的に考えるとそうなんだけど、

中にいるとなかなか潰れることをリアルに想像するのって無理ですよ。

そんだけやっぱ企業ってのは一個人と比べると強大すぎる。

 

ここまで進んで来たレールにある程度の自負があるがばっかりに、

ほわっとした憧れだけではなかなか他所のレールに移ることができなくなるんです。

もう制御不能の暴走列車に乗ってるようなもんですよね。

 

その結果現実的にとれる選択肢はそのレールの行き着く先ひとつだけ

学歴社会のレールを突っ走った結果、

何にでもなれるポジションにたどり着いたはいいが、

怖くて進路を変えることができなくなり、

現在の既定路線の行き着く先にしかなれなくなる。

 

社会的に選択肢を広げようとして獲得した高学歴によって、いつのまにか

心理的に選択肢が実質一つだけになる。

ひどく逆説的なものだ。

 

終わり

実はそんな悲劇的なものではないのかもしれません。

側からみたらどう見ても「ありふれた一般的な幸せ」に近いですからね。

 

けど、大企業入ったからって皆満足なわけではないですし、

そうなったとき、僕ら高学歴ってフットワーク重い傾向にあるだろうな。

 

体裁だけの文になりますが、

あくまで今回の論は僕個人から見た「高学歴」な若者に多い状況の話です。

足取り軽く、柔軟に動いてる知り合いだっているし、「高学歴=がんじがらめ」は偽です。

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