憂いていたのは、「土曜日に学生が一人でも来る日が”全く”ない」こと
助教授は何も土曜日必ず来いというつもりはないわけです。
「誰一人、一度も土曜日に来ないこと」を残念に思っていました。
そのロジックはこうです。
そもそも学生はお金を払って大学にきている。
学生側はお金を払った権利を「お金を払って研究室の成果創出の源になってるんだから自由にさせろ」という形でふりかざそうとする。
実際自由にさせている。
けど、「ちょっと今週はどうせ土曜日暇だし、研究気になるし進めちゃおう」って思うのも自由なはず。
それが一切ないというのは、実際は自分の手で研究を進めたいというオーナーシップはまだ皆に無いんだ
それが残念だ。
・・・めっちゃ「せやな・・・」って気持ちになりませんか。
これが仕事ならまた少し話は変わります。
仕事が進むだけでもらえるお金は変わらないのであればそれは当初の労使の契約に反している。
でも、修士って、自分で選んで進んでいる。
その間周りは社会人になる中お金は稼げず、むしろ払うことになる。
それで研究はなあなあで良いっていうのはどういう筋が通ってるんだ?
というお話です。
実際のところはしんどい思いをせずに修士号欲しいよっていう気持ちしか無いような気がして恥ずかしい気持ちになりました。
この話は僕個人に対する説教という感じは一切なく、
むしろ僕も含めた全体の話なわけで、
それを自分に話したということに痛烈に意図を感じた。
「共感したなら行動に移して周りに影響を与えてくれよ」と、助教授にとってはわかりやすいロビー活動だったわけです。
でも僕はプレッシャーがドライビングフォースなわけではなく自律的に土曜日もちょこちょこ行こうという気持ちになったし、
それを知った同期も釣られて来るようになり、先生も次の拘束の手を打つ必要もなくなり、
全てが上手く回り出しました。
良い助教授でしょ
前半終わり
ここまで、一年目の秋頃まででした。
この後は早くから出した成果で無双し始める年明け以降に続きます。
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